小林先生インタビュー

三代目会長の小林裕一先生インタビュー

【聞き手:角倉英充、樋口直人 2016.11.22】

インタビュー連載初回は行政書士三田会のトップである小林会長。行政書士を目指したきっかけや業務を続けていくためのポイントについて、樋口副会長に一部解説頂きながら、包み隠さずお話頂きました。

行政書士三田会について


10周年ということで、行政書士三田会の設立の経緯を教えてください。


10年前当時、行政書士のOB会といえば中央、早稲田。さらに、明治、法政もOB会を組織しだしたころ。慶應も負けてはいられないということで、(後に)初代の会長になる村岡さん、2代目の日下部さん、私の3人が発起人になって創設しました。

印刷会社から行政書士へ


行政書士を志したきっかけはなんですか?


(笑いながら)生活苦。バブルのころでねえ、会社辞めてプータローやってたんだ。一浪一留して24で入った印刷会社を辞めたのが28歳のころ。


バブル中というと景気がよかった印象があるのですが、どうしてまたこの時期に?


いやーだってすごいよ労働条件。朝9時から18時が定時。ところが、辞めた月の残業が200時間。土曜は出るは日曜は出るはで。


過労死ラインこえてますね。


そしたらさ、ミスっちゃったのよ。料理番組のテキストを担当してたんだけど、レシピの途中に、味噌だ醤油だといった広告がはいるわけ。途中でバッと出てくるとから目にとまる。だからその広告料は、雑誌の後ろにまとまっている広告よりも高いわけ。なのに、俺作った奴は全部後ろに行っちゃった。


それは大変だ!


時効だかな(笑)、大騒ぎになっちゃって。出来上がったのを見てワッ!となって。全部作り直したら5千万掛かるぞと。出版社にはちゃんとできたやつだけ納品してさあ、間違ったテキストは流通させちゃった。それから大変だよ上司が。俺に対する仕打ちがすごくなった。運悪く直属の課長が松戸に住んでいてさあ、綾瀬で俺が帰るときに一緒についきて「飲んでこう」っていうの。それで「あかべえ」で一緒に飲んでたら「お前はそこが悪いあそこが悪い」と言われて頭きてさあ、売り言葉に買い言葉で「だったら辞めてやる」って。翌日辞表だして。


行政書士は3年以上継続するのが難しいという方が多いですが、小林先生もやめようかなって思ったことはありますか?


他に何にもできないから(笑)会社をタンカ切ってやめちゃったしね。損保の収入があったから多少は基本にはなってたけどね。損保の研修生として損害保険会社に所属して2年間募集実務をやるわけですよ。そこでお客さんを作って。あれもリピートするし仕事なのよ。毎年更新していくんで。そっちはそっちで月に20万くらいの基礎があったから、それをやりながら(行政書士の)仕事なのよ。昭和59年から昭和61年まで研修生をやって、損保の代理店として独立してやりながら、行政書士が加わったって話だね。


行政書士の収入が安定するまで二足の草鞋を履いていたわけですね。損保の代理店はどのくらいまで続けたのですか?


平成10年くらいまでやっていたかな。辞めるきっかけは自由化。それまではどこで受けても車にかかる保険料っていうのは同じだった。ところが、自由化で個人で対応していると価格競争に巻き込まれちゃうようになって、下手するとやればやるほど損するぞと。当時は行政書士業務が伸びてきたら、そろそろやめようという感覚だったよね。


行政書士業務とは別の収入源をもっておくというのも一つの戦略ですね。


それが見つからないと、3年で諦めちゃうという人も多いと思います。

建築業許認可の魅力とは


やっているうちにわかったんだけど、他の許認可の話がくるの。建築士事務所登録でしょ、電気工事業登録。最近一番ありがたいのは産廃(産業廃棄物処理業許可申請)だね。産廃は柱になってきたよ。収入の10~15パーセントくらいになってきたよ。


産廃は出す自治体ごとに書類が違うと聞いたのですが本当ですか。そうだとすると行政書士の力量がでる分野だと思うのですが。


基本的には同じはずなんだけど、添付書類が違ったり。ともかく、一度依頼を受けると全部来る。営業の上手い人だとプラス経審(経営事項審査*)もくる。今年は2~3件きたかな。とっかかりがよければひろがっていっちゃう。役員の重任(再任)登記の話がくることもあるけど、そういう時は提携している司法書士の先生にわたしちゃう。

*建設工事業者が公共工事への入札参加を希望する場合、必ず受けなければならない企業規模・経営状況などの審査のこと


中小だとフットワーク軽くていいですね。大手だと契約かわすのは結構大変ですしね。


小林先生は平成2年の登録から20年以上やっておられるわけですが、収入が安定したのはいつごろですか?


10年くらいかかったんじゃないかな。たまにいい仕事がはいったりするけど、偶然のラッキーなんだよね。安定はしない。そういう意味では、安定するのには10年かかるんじゃないかな。


お客さんとの関係が安定するのに時間がかかりますよね。


お客さんが本当の意味で「お客さん」になるのに最低5年かかるから。毎年、手続きがあって、付き合いがあったとしても、やっぱり5年間くらいはかかるからね。それ超えるとまあ大丈夫かなって感じ。あと10年行くかな。


飲食なんてサイクルが早いからね。そういう意味では建築(許認可)で長いサイクルで付き合えるのはいいですよね。


運の部分もあるけどね。僕よりもっとラッキーな人たちもいるけど。我々の上の世代の人たちは、昭和60年近くに、建設業って登録から許可に移ったのね。その時の駆け込み需要ってすごかったって聞いてるよ。すでに登録しているところが登録から許可に変える需要があった。すでに登録しているところは簡単に許可がでるから、駆け込みで登録をする需要が多かったらしい。


規制が厳しくなってきたときに需要が発生するわけですよね。建築でなくても、いま規制がゆるい登録制の分野が、今後規制が厳しくなってくることを見込んであたりをつけるというのも手ですよね。


それはあるかもしれないね。


登録といえば解体事業者登録とか。登録は(許認可にくらべて)すごく楽なんだよね。なんでこれで通るかというと、解体屋さんって不法投棄をするような業者が多かったんだよね。10年位前かな。だから、(行政の側で)どこで誰がやっているかだけでも登録させておけば追っかけやすいでしょ。


そうすると、解体業者登録制度自体も結構新しい制度なんですね。


そうですよ。建設リサイクル法ってのができたときの制度。この辺いっぱいヒントがあると思う。樋口さんがいうように、登録はこれから厳しくなる可能性がある。解体業者は特に。建設から産廃に拡がる業者は結構いるんじゃないかなと思う。まあ、今の話の流れってのは、いろいろ派生してくるわけ。


ポイントとして、需要があるところに立地を構えるとういのがありますね。


そうそう、ここは法務局に近いというのもあるんですよ。だから、司法書士事務所が多い。彼らは登記以外はやらないので、こっちに紹介してくれることも多い。近いから、こっちによってごらんというと大体来たね。立地という意味ではそれが一番。


他士業が多いところに立地していると、紹介してもらえることが多いわけですね。


他士業というと、紹介しあうのが一番いい。向こうがほしいものをあげて、こっちがやれるものをもらって。業際問題もあるから何でもかんでもやらないで、まずは紹介することが大事。


忙しい時期などはありますか?


年間で言うと、春、2,3,4月は暇ですね。通常国会で春に予算が決まって、執行されるのが5月ごろからなんだよね。国の予算が動き出すまでは動けないから。動き出すのは5月ごろから。逆に5月末から忙しくなるね。

今後の展開について


最後に行政書士三田会の魅力と、今後の展開を教えてください。


行政書士三田会の魅力は、独立自尊を尊ぶことです。現在は10周年記念事業の企画が進行中で、その一環としてHPをリニューアル中です。


小林先生、ありがとうございました。

小林 裕一(こばやし ゆういち)


昭和31年6月2日生まれ。行政書士三田会 三代目会長。慶応義塾大学文学部哲学科卒。
平成2年3月東京都行政書士会登録。
大日本印刷(株)勤務。日本火災海上保険(株)代理店業務。
2級建設業経理事務士保有。
元東京都行政書士会足立支部支部長。

樋口 直人(ひぐち なおひと)


昭和42年12月25日生まれ。行政書士三田会副会長。慶応義塾大学法学部法律学課卒。
平成19年12月東京都行政書士会登録。
東京都行政書士会台東支部所属。
樋口行政書士法務事務所所長。
一般社団法人コンブリオ代表理事。
合同会社日本ドローン産業研究所所長。

角倉 英充(すみくら ひでみつ)


昭和58年6月9日生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科卒。
行政書士三田会幹事。
イミグレーションロー実務研究会所属。
平成26年東京都行政書士会登録。
株式会社MRI Japan 勤務。
日商簿記検定2級保持。

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